カジュアルブロックという言葉をつかう存在の悪しきさ

solocialnet

色々な交流型SNSの代表的なものには

ほとんどと言っていいほど『ブロック』という機能がある。

大変の方はその機能に関して説明はいらないと思うので

細かい説明は省略させて頂きますが。

基本的には自分にとって不利益になるような行為を行う相手であったり、

どうしても自分のアカウントを見られたくない場合などにおいて

その機能を使う方が大半であるかと思います。

また、この機能を使うことによって

相手の投稿も見れなくなったり、

スレッド式、例えばGoogle+みたいな投稿の下にコメントが伸びるようなものの中には

自分がコメントした投稿にそのブロック相手がいた場合は

お互いがそのコメントすら見えないように出来ることで

交流を綺麗に断つことが出来るという機能であったりします。

ブロックをしたことは

相手があなたのアカウントに訪れない限り分からないし、

SNSによっては単に投稿が見れなくなるだけで

一瞬ブロックをされているかも分からないものもあります。

基本的にはブロックというのは

なんとなくする側もされる側も気持ちいいものじゃないからでしょう。

私もブロックをという行為自体は

快適にSNSを使う上で、基本的には積極的とまでは言わないまでも

活用すべき機能だと思います。

カジュアルブロックという言葉を使う人達

しかし、そのブロックという行為の中で

『カジュアルブロック』などという

よく分からない造語を生み出している一部の方たちがいます。

このカジュアルブロックというのは

少しでも気に入らない相手に対しては

すぐにブロックを発動し、相手との交流を即座に断つという行為で

もっとよりブロックに対しての考え方を低くしようぜという流れのようです。

ブロックをすることに対しての意識を低くして

もっとブロックすることを恐れないようにしようというのは

個人的には賛同できるところもあるのですが、

結局のところあくまでもブロックであることは特に変わりません。

しかしなんで『カジュアルブロック』という

わざわざ言い換えをするのでしょうか。

『ブロック』という言葉には

不思議とブロックをする側が一方的に関係を断つということで

少し冷たい印象を持たれるというのがあります。

「どうして一度もうやめて下さいとか言わなかったの?」というような

特に日本においては、変な礼儀作法みたいなものを押し付けられる感じがあります。

ストーカー対策においてなども

こうして日本独特の変な慣習のせいで

相手を遠ざけることをなかなかできない風潮があったりしました。

これは確かにやめるべき感覚で

そのために『ブロック』という機能があるわけなので

ここはもっと堂々と活用すべきだと思います。

しかし、『カジュアルブロック』という言葉を広く使っている人達は、それとは少し違います。

まるで『カジュアルブロック夜露死苦』と背中に刺繍して

SNSの中を大手をふって歩いているようなネットチンピラの人達です。

彼らは前述したように『ブロック』することをもっと堂々としようということを掲げ

それ自体はまるで正義のように聴こえるのですが、

彼らの場合は少し違うのです。

彼らはむしろ、ブロックされる側にあたるような行為をしているアカウントで、

特定の個人アカウントを複数名や彼らチンピラの支持者と一緒になり

攻撃し、徹底的にいじめをするのです。

そしてある程度いじめをした後に彼らが決まって使う言葉が『カジュアルブロック』です。

彼らのいじめの方法とは

使用方法は主に2つ分かれます。

1つは、そのいじめをした相手をみんなでブロックをするということ。

攻撃された側は、反論をしたり正当な意見を述べようと彼らにアプローチしようとします。

しかし、その反論の場所も用意されず、

さらに、自分が陰で何を言われいるかも分からず

ただただ、いじめにあっている感覚と

彼らの発言を見ることが出来ない故に続く、終わらない冷笑にうなされます。

もちろん別アカウントなどを使って彼らを観に行くことは出来るでしょう。

しかし、それはいじめられた側にとってはあまりにも勇気のいる行為で

一体自分は何を言われているのか、実際に知るとより生きていけなくなるくらいの

精神的ダメージをうける可能性があるので、

そこで残った傷跡と向き合ってネットを続けるしかなくなります。

あまりに大きな攻撃を受けた人は

アカウントの抹消や作り直しをする方が多いでしょう。

これに関してはチンピラ側は『文句があるなら別垢でもつくればいい』と言ってしまいます。

そして2つめは『カジュアルブロック』をいじめた側に推奨する行為。

これは先ほどと少し様子が違います。

いじめられるのが面倒なら、見てて不快ならこちらをどうぞブロックしてくださいというのです。

これは一見正当だし、特に問題がないように思えます。

しかし、この発言の根幹はもっと深い。

1つめで述べたように、まずいじめられた側がいじめた側をブロックすることで

一体何を陰で言われているのかが分からなくなる。

これは陰で増幅する悪意に対して自分はいつまでも

心の中で傷を治せずに痛みを背負う日々をすごすことになる。

実際にブロックをした後は、大半が『あいつはブロックをした』と言われ

推奨しているチンピラは薦めた以上決して文句は言わないが

彼らの信者は『ブロックするなんて卑怯者』『結局あいつが悪いと認めたようなもの』といった発言でさらに陰で彼を責め続けます。

そしてチンピラは、その一部の信者により

熱狂的に器が大きい人だと賞賛されます。

なんせ、ブロックをしてもいいといい、

そしてブロックをした本人を大きな目でみてやってくれとまで言うのです。

大半のいじめられた側はこれでココロが折れるでしょう。

おそらくエゴサーチなんかはしないほうが正解です。

きっと悪意に満ちた発言に溢れかえっています。

また当然のように彼らチンピラは

そのいじめる側の存在を知ってもらうために

そのいじめられた側がそのチンピラに対して送ったDMや限定公開の記事を

キャプチャーするなどして公開します。

そうすることによって、さらに信者たちは熱狂します。

一緒になりさらにいじめを加速させます。

そして、カジュアルブロックを勧めている彼の言葉したがい

そのいじめの対象者を突如ブロックし始めます。

いじめられた側は見ることの出来ない悪意にどんどんいつの間にか包まれ

そしてただただ孤独と闘います。

いじめられた側はただ孤独と闘う

なぜ孤独か?

それはチンピラ達はいじめている対象者を庇うものを

さらに新しい標的としていじめをするからです。

学校でよくあるいじめと構図がよく似ています。

当然見てみぬふりをせざるを得ない状況をつくるのです。

そしてこのチンピラ達は大半が

顔も出していなければ、実名も出していません。

また、オフ会などには現れますが、

彼らの多くは「会ったらすごく礼儀正しい良い人だった」

と言われるように努めています。

そうすることで、「実際はいい人」という印象を広めてもらい

言葉の暴力も「彼が言うことのほうが正しい」という風に思わせるようにしています。

チンピラの標的になってしまった人はただただ

静かに時が過ぎるのを待つか

その場から静かに立ち去るかしかありません。

もしあなたの見ているアカウントに

そんなネットチンピラ達がいたら

静かに彼らの言うカジュアルブロックをすべきなのかもしれません。