筆者はGoogle+がβ版の頃から使い初めて
しばらくはかなりどっぷりとハマっていた頃がある。
何が楽しかったのかなどはここでは割愛するが
あれからずいぶん時を経て
Google+も初期の頃に比べるとずいぶんと仕様が変わった。
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流れないストリーム
見た目も機能もずいぶんと初期の頃のそれとは変わった。
使いやすくなったものもあるし
ハングアウトのような新しく独自な機能もずいぶんと登場した。
しかし、筆者にとって一番の改悪だったのは
流れないストリームである。
他のSNSでも基本的には投稿をさかのぼり始めると
自動更新がとまり、分かりやすく例えるならば
上流で川の流れをせきどめしたように
自分で更新しないと新しい投稿が読み込まれないようになっていることが多い。
(よい例え方ではなかった・・・)
しかし当初のGoogle+は投稿をさかのぼり始めても
どんどんと新しい投稿が読み込まれていき
フォローをしている数がある程度多いか
投稿の頻度が高い人をフォローしていると
あっという間に元にいた場所が分からなくなってしまっていた。
FacebookやTwitterなどに慣れている人からすると
この仕様がとても困っていたという事実があり
なかなかGoogle+に馴染めないといった声も確かにあった。
しかし、初期の頃から使っているユーザからよく聞かれ
私もそうであるように、実はそれがとってもGoogle+のよいとこだった。
時は流れていくもの
時間が流れて戻らないように
Google+の投稿が川のように時間のように流れて
元の場所が分からなくなることを
従来のGoogle+ユーザはむしろ楽しんでいた。
時に1行のくだらないジョークや
特定の趣味の人間にしか受けない画像
たった今、この瞬間にもりあがっているネタなど・・・
それらは時間を経過して読み返すために投下されるものではなく
ただ、その瞬間をたまたま偶然に投稿を見た人と共有する
そんな一期一会のような精神で楽しんでいたのだ。
いうならば『バルス』のようなものだろうか。
流れては消え、コメントが多くつけばまたあがってくる
そんなリアルタイム性が秩序に現れたSNSだったからこそ
他とは違う楽しみを見出していた人も多く
また、仕様が変わったことで落胆した人も多かった。
ただ眺めているだけでいい。それは川のせせらぎのよう
まるで山にのぼり自然の川が流れる様子を
ぼんやりを眺めているようだと言えば分かるだろうか。
目的を持ってそこに挑むのではなく
ただぼんやりと様々な人が流してくる灯籠を見つめ
そしてそれに笑い、泣き、同意という+1を押し、そして広める。
以前は独りでワインを片手に
もう片手には美味しく燻されたチーズをつまみ
そしてGoogle+のストリームをぼんやり眺める時間があった。
しかし、今は新しい投稿をクリックして読み込まない限り
新しい投稿はおろか、画面の推移すらない。
もうチーズはつまめないのだ。
独自路線を突き進んで欲しい
おかげさまで昨日書いたTwitterの記事は
多くの方に読んでいただけたのだが、
そこに書いていたのと同じようにGoogle+も独自路線を突き進んで欲しい。
他のSNSユーザをより囲むために
他のSNSも同様にGoogle+の真似をしたりもするが
Google+はそんなことを気にせずに我が道を突き進んで欲しい。
確かにサービスが始まった当初は
いわゆる他のSNSのいいとこどりというような言われ方をし
確かにそのような面はあったとはいえ
ハングアウトなどの独自機能を代表するように
誇るものは非常に多い。
他のSNSユーザが一瞬来たところで
恐らくはたまに食べたくなる大して美味しくないレトルトのカレー程度だろう。
おふくろがつくるカレーはそれぞれ家庭の味があり
同じルーを使っていても、やっぱり味わいが違う。
一度カラダに染み込んだ味の記憶はそうたやすく変わらない。
最後発だと言われたGoogle+だが
新人ママにしか出せない旨味があるのだ。
これからはもっと独自路線を貫いて欲しい。
カレーにもチーズは良く合う。